2009年1月5日月曜日

俳誌雑読其の四+α D.J.リンズィー

俳誌雑読 其の四+α
シェーンミズ・カムバーックの声はむなしく凩に紛れ

ドゥーグル・リンズィーの句集はまさしく歳晩に至る

                       ・・・高山れおな

清水哲男が「俳句界」の編集長を降りたらしい。同誌一月号の「編集後記」を読むと林誠司という人が新編集長になっている。一方、巻頭近くの新年の挨拶のページを見ると、版元・文學の森の姜社長や林新編集長と共に、清水も「俳句界」顧問の肩書で名をつらねている。事情はなんとなく想像がつくが、いよいよ清水色がはっきり出てくる頃かと期待していた矢先の編集長交替、いささかがっかりさせられた。

記事の方では「提言シリーズ」というのが始まり、その第一回は「このままでは俳句結社は滅亡する!? 若者不在の現代俳句を考える」。扉ページに掲げられた編集部によるリード文にはこうある。

俳句人口の高齢化は急速に進んでいる。どの結社も「若手俳人の育成」を声高に主張しているが、目に見える成果に至っていない。若手育成の課題は結社ばかりではなく、総合誌の大きな役割でもある。小誌は長期に亘り、俳句人口の高齢化、若手俳人の育成の問題を取り上げ、具体的な提言を発信していきたい。

提言者は、坪内稔典、七田谷まりうす、岸本尚毅、佐藤郁良、神野紗希の五人で、感想をひとことずつ述べておくと、坪内=老獪、七田谷=作文能力無し、岸本=誠実なれど無気力、佐藤=俳句甲子園万歳、神野=正気で元気、ということになろうか。もっとも、俳句人口の高齢化というのは、第一義的には文芸の問題ではないし、しかもその原因たるや少子高齢化と、俳句をその一小部分とする文学という制度の文化全体の中での地盤沈下という大状況に由来するのであってみれば、これを文芸的に打開する方法があるはずもない。佐藤郁良などは、妙に具体的に若手育成の方策を書きつらねているのだが、頭の中が完全に進路指導教員風にできあがっているらしいのには改めて一驚を喫した。俳句の命運もこの人にとっては東大現役合格率をどうするか、といった実務と同じ次元に属しているらしい。文学がそれほど虚仮にされている時代であるということが、俳句の魅力をいよいよ乏しいものにしているのであり、文学を虚仮にする心意が内面化された人間が仮に俳句を続けたところでさほどの成果をあげ得ない道理であろう。こう書いてくるとなんだかネガティブであるが、しかしこの種のジャーナリスティックな企画には、中身の実効性や生産性とは別に、社会の空気を攪拌するような効果は確実にあるわけで、その点に期待すると申し上げておく。

「俳句界」ではもうひとつ。置き土産なのか何なのかよくわからないが、清水が「疑似左利きの拳銃 いまどき俳句への憂慮」という巻頭エッセイを書いていて、これはすこぶる読ませる。西部劇の世界と昨今の俳句の世界とをアナロジカルに対比させての「いまどき俳句」批判で、〈最近必要があって、西部劇映画をたてつづけに見ている〉うちに、両者が〈なんと良く似ていることかという実感を得た〉のだという。

西部劇の世界とはどういうものか。研究者であるフィリップ・フレンチの適切な定義があるので、『西部劇・夢の伝説』(フィルムアート社)から引用しておこう。
「西部劇が歌舞伎と同じように、きまりきった規則にのっとった商業的な定式であるということ。もう一つは、描かれる事件が、十九世紀アメリカにおけるフロンティアでの実生活とはほとんど関係がなく、儀式はきまってセントルイスの西にある、或る埃っぽい田舎町で、いつも白昼であるような永遠の時間の世界で演じられるということである」(波多野哲朗訳)。

どうだろうか。前者の「定式」を有季定型に、後者の「十九世紀アメリカ」云々を昔の日本に置き換えて読めば、これはそのままいまどきの俳句世界の構造そのものと読めるのではなかろうか。すなわち、西部劇と俳句の世界は、ある時点で共に成熟することや進化することを止めてしまったジャンルということだ。両者は現代のこの地上のどこにもない場所に「永遠の時間」を設定し、そこに向けて紡ぎ出す表現様式を共有している。

したがって俳句としては、芭蕉の「新しさが花」の認識の持ち込みようもなく、だから現代の生活感覚をも当然のようにオミットして、ひたすらかのピーター・パンのネバー・ランドよろしく、成熟や進化を嫌う雰囲気が増幅することになってきた。早い話が、西部のガンマンが拳銃の早撃ちを競ったように、多くの俳人は季語や切字などを操るスキルの巧拙に、必要以上に拘泥している。これでは現代的な主題や生活感を俳句に入れ込む余地などはなかなかない理屈である。

面白いのでついついたくさん引いてしまったが、こんな調子でなかなか痛烈である。内容的には、言い古されている事柄にすぎないと言えなくもないものの、西部劇を引き合いに出しての語り口はヴィヴィッドで相応の説得力もある。おおかたの俳人は、〈進化することを止めてしまった〉といった批判ぐらいは馬の耳に念仏でやりすごすことだろうが、ネバー・ランドを持ち出しての“成熟の喪失”の指摘は少しは応えるのではないだろうか、まともな自尊心の持ち主であれば。

とはいえ、清水の論旨の弱点を突くのはそんなに難しいことではない。いかに〈いまどきの俳句世界〉が保守的で単調に見えるとしても、西部劇映画の世界に比べればはるかに多様で多彩な内実を持っていることは、冷静に考えてみればあきらかであろう。幸か不幸か俳句に「定式」はあったとしてもそれは直接的に「商業的な定式」というわけではないので(間接的には点者として食うために有利な「商業的な定式」は存在するだろうが)、過去にも現在にも「定式」を逸脱することに血道をあげる人間に事欠いたためしはないからだ。大資本を必要とし、かつ資本の回収を義務付けられている映画とはなんといっても根本の条件が違うのだ。

清水は、西部劇が滅亡したのは〈あまりにも時代遅れで厳格な「定式」に、一般市民の感覚がついていけなくなったせい〉であるとし、そこに俳句の明日の運命との相似を想定してもいるのだが、この辺になると比喩で語ることの限界を感じざるを得ない。誰もが承知しているように、一般市民の多数が俳句の世界に求めてきたのは常に〈時代遅れで厳格な「定式」〉の方であって、これは現在でも基本的には変わっていないし、今後も当分は変わらないと評者は思う。映画産業のダイナミズムがあったればこその西部劇の興隆であり滅亡だったのであり、社会との関係が映画とは全く異なる俳句の未来を占う参考にはならないだろう。清水の論は気分のレベルでは共感できるとはいえ、かなり雑駁な一般化を前提にしており、俳壇現象と俳句表現の水準を区分する手つきにも厳密を欠いているように思われる。

もちろん清水が、坪内稔典の発言を引きつつ言う〈「おもしろくない雰囲気」〉はよくわかる。よくわかるが同時に、当節よりは少しばかり活気があっておもしろかった時代を知っている人たちの幸福なる愚痴という感じもしないではない。当方などは、過去二十年間、一貫して「おもしろくない雰囲気」の中だけで俳句とかかわってきたのであり、評者にとっての俳句づくりは、「おもしろくない雰囲気」に耐え、生き延びるための作戦とほぼ同義であった。まあ、それにも飽きてきたので、このようなブログを始めたのではあるが。

さて、前号の「あとがき」で述べたように、万事計画性とは無縁の当ブログでは新年企画のひとつも用意しておらず、せめて書評にとりあげる本の選択に正月らしさを出そう、くらいに思っていたのだった。願えば通じるということか、旧臘三十日になって一冊の句集が届いた。ドゥーグル・J・リンズィーの『出航』(二〇〇八年十二月二十五日刊 文學の森)。年頭に紹介するにはまさにおあつらえむきのタイトルということに加えて、清水哲男の文章に対するひとつの反証としても称揚しておきたい。リンズィーは、一九七一年生まれのオーストラリア人の海洋生物学者であり、言うまでもなく英語を母語とする。早撃ちガンマンとしてはいかに努力したところで、二流の域に達することさえ難しいに違いない。にもかかわらず彼の作品に魅力があるとしたら、それはどんな点に由来するのだろうか。

向こうは覚えていないだろうが、リンズィーにはいちど会ったことがある。彼は、第一句集『むつごろう』(二〇〇一年 芙蓉俳句会)によって、二〇〇二年、第七回の中新田俳句大賞を受賞している。この賞は運営の中心だった詩人・宗左近の死去にともない二〇〇六年に終ってしまったが、その授賞式は二日がかりのイベントである「中新田詩の噴火祭」の一貫として行われ、なかなか賑やかなものだった。評者はリンズィーが受賞したおりの「詩の噴火祭」にシンポジウムのパネラーとして参加し、そこで本人から直接句集を買い、句の書き入れもしてもらった。夫人と満二歳を過ぎたばかりの娘も一緒だったリンズィーはそちらの相手で忙しく、あまり話をすることも出来なかったのは残念だったが。

少年時代から英語の詩(それもモダニズムの詩ではなく、シェイクスピアのような古いもの)は好きで読んでいたというリンズィーが俳句をはじめるきっかけは、一九九一年から翌年にかけてクィーンズランド大学と慶応義塾大学の交換留学生として来日した際のホームステイ先が、季刊俳誌「芙蓉」を主宰する須川洋子の家だったことだ。須川の俳句についてはよく知らないけれど、彼女が加藤楸邨の弟子であったところに、何やら天の配剤めいたものを感ずる。〈鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる〉〈しづかなる力満ちゆき螇蜥とぶ〉〈春愁やくらりと海月くつがへる〉のような小動物を詠んだ佳句も多い楸邨の境涯詠の世界は、海の生き物を愛してやまない若い外国人にも共感しやすかったに違いない。

『出航』を読む前に、『むつごろう』の句も少し見ておきたい。

稲妻の光りて時間こはばりぬ
牡丹雪正座の足を伸ばしけり
大晦日エスカレーターの先消ゆる

『むつごろう』は編年体の構成になっており、これら三句は一九九一年の作。つまり日本語初心者にして俳句初心者の作ということになる。一句目、三句目などは言葉の上になるほど微妙なぎこちなさが残っているようだ。特に一句目の「光りて」などは、早撃ちガンマン系の基準では「稲妻」なんだから光るのはあたり前と、ケチがつくかも知れない。しかし、「こはばりぬ」のそれ自体強張った言葉遣いは面白いし、雷光に射すくめられてのかすかな恐怖を的確に捉えてもいるだろう。三句目では、「エスカレーター」を「大晦日」の寓意とするあたりが巧み。二句目は、いかにも筋の良い初心の人がつくりそうな句である。この時期、リンズィーは「寒雷」に投句しており、楸邨(まだ生きていた!)は自分の最も若い弟子の作品としてこの「牡丹雪」の句のことを人に語っていたという。投句は日本人名でしていたそうだから、外国人ゆえの特別扱いではない。句がどうこうという以上に、弟子育成の大名人だった楸邨の凄みを感じる。

帰省してまづ握りたり海の水  一九九二年
掬ふ掌のくらげや生命線ふかく  一九九三年
黒南風や掌の深海魚かすかに震へ
白息のスタッカートは喧嘩らし
初旅了へ浮遊生物学講義
  一九九四年
沢蟹の殻の如くに花疲れ  一九九五年
シーザー忌アーティチョークに包丁刺す
バンジーの地面襲い来蚯蚓鳴く
金星と月だけの空婚約す

『むつごろう』の句の魅力は、ひとつには日豪を行き来しながら学問に励む若者の境涯の記録という点に負っているだろう。また、言われなければ外国人の作とは気づかない程に達意の表現がなされてはいるものの、注意して読めば日本語を母語とする人間とは異なる呼吸を感じることが出来るように思う。一句目などは、その両者を兼ねた例。久しぶりに故国に帰って「まづ」海へ行ったというのはよくわかるが、日本人であればここで「握りたり」の表現は出てこないのではあるまいか。すぐ次の句にあるように、水は「掬ふ」ものという回路が頭の中に強固に存在しすぎるからだ。

四句目の「スタッカートは喧嘩らし」のフレーズにも、日本語に馴れすぎていない人ならではの恐れ気のなさのようなものがほの見えて小気味よい。八句目には、〈バンジーはバンジージャンプのこと〉と左注がある。「地面襲い来」は、経験者ならではの表現だろうし、そもそもこうした素材を俳句にしようとする時点でとりあえず西部劇の範囲は逸脱している。「蚯蚓鳴く」の取り合わせも大胆でとぼけた味がある。

しかし、リンズィー俳句の本領はやはり、彼の人生にとっていちばん重要な水棲動物を詠む場合に発揮されるようだ。上にあげた中では、二句目「掬ふ掌の」、三句目「黒南風や」、六句目「沢蟹の」など。ことに二句目は、「生命線」の語が本来の字義を逸脱しつつ、あたかも「くらげ」の“尊厳”を歌いあげるかのようだ。小動物を有情の名句の数々に詠んだ楸邨の弟子にふさわしいみごとな作。六句目「花疲れ」が「沢蟹の殻」のようだという比喩にも驚かされる。そしてまた意外な説得力も感じる。

口の泥吐いては吐いては鯥五郎  一九九六年
アルバムへしづかに瀑布しまひけり
秋深く昼月だけは落ちてこず
落葉松が降るあかとんぼ錆びてゐる
凩や耳は人の葉かも知れぬ


『むつごろう』も後半に入ると、日本語はいちだんとこなれよくなり、「あかとんぼ」を「錆びてゐる」と言い、「耳」を「人の葉」ではないかとするような、鋭敏な感覚的掘り下げに成果を見せる。「昼月だけは落ちてこず」の空虚感も良い。一句目はもちろん句集名の由来となった作で、潟海の泥の中で生きるムツゴロウの生態をよく描写している。

深海のクラゲのビデオ西瓜甘し  一九九七年
アルキメデス・ピタゴラスも過ぎ甚平鮫
甲板の温み吸ひ取る海猫のこゑ
  一九九八~一九九九年
海蛇の長き一息梅雨に入る

リンズィーは一九九五年、東京大学での修士課程を終え、翌年には海洋科学技術センター(一九九七年に海洋研究開発機構と改称)に就職。以後、二〇〇八年現在にいたるまでに「しんかい2000」や「しんかい6500」に、二十回以上乗り込んでの研究生活を続けているそうだが(わが国の深海探査の最前線の一翼を担っていたのがオーストラリア人だというのも面白い)、これら四句はそうした研究者としての日々から生まれた句ということになる。「深海のクラゲのビデオ」は、TSUTAYAで借りてきたその手のビデオを視ているというのではもちろんなく、深海におろした無人探査機のモニター画面を母船の中でチェックしているといった状況なのであろう。それは仕事には違いないが、「西瓜甘し」と取り合わせる時、ちょっと異様な現代の風狂の姿を呈することになる。

次の「甚平鮫」は、体長十メートルを超える地球最大のサメであり魚である。大きな体に似合わず臆病で、動きも鈍いという。悠然と視界をよこぎるその巨体を、古代ギリシャの哲学者になぞらえたのがユーモラスだ。〈甲板の温み吸ひ取る海猫のこゑ〉では、「温み吸ひ取る」の表現が危うくもすばらしい。「海猫のこゑ」の感触をどう言いとるか、はらわたを絞った措辞ではないかと推測する。

そして〈海蛇の長き一息梅雨に入る〉。中新田俳句大賞の授賞式の講評(は、たしか中原道夫だったかと思う)で耳にした時から記憶に刻まれている句で、この句集を代表する一句ではないかと思う。リンズィーはある座談会(「外国人が詠む日本語俳句」/「有鄰」№436 二〇〇四年三月)で、この句について以下のように説明している。

リンズィー スキューバダイビングをやっているときに、何かすごい音がしたので表層を見たら、海蛇が息を吸っていた。海蛇は体長の8割が肺なんです。だから、すっごい一息なんです。長くスーッと吸うんですね。

なるほどよくわかる。しかし、ウミヘビの呼吸音など聞いたこともなければ知識もない当方が、にもかかわらず最初からこの「長き一息」に納得したのはなぜなのだろうか。それはおそらく「梅雨に入る」という一語の力であって、大きな気候の変化そのものをも「長き一息」と感じ取らせる機微がそこに働いていたからだと思う。

ようやく『出航』にたどり着いた。リンズィーのこの第二句集は、一九九九年秋から二〇〇八年秋にいたる十年間の作、二百七十七句を収める。前句集と同様に編年体を採っている。句数の少ない一九九九年はとばして、あとはひたすら制作順に読んでみることにする。したがって、まずは二〇〇〇年の作。

白鱚の唇うすく北風下し
  有人潜水船「しんかい6500」で初めて深度六五〇〇m未満に潜る
「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり
蓮田よりいきなり梟ピカソの忌
  三月二日に長女 ヘレナ・芽衣産まれる
啓蟄や臍の緒を切る弾力よ
八方に海ひがしより我鬼忌来る
鮎落つるころ永住権取得せり
ロシア人目刺の色のまなこして
時空連続体に穴の在るらし鵙猛り

こうした句を詠むと、やはり詠むべきものを持っている作品の強さというものを感じないわけにはいかない。中でも、素材の新奇さとコノテーションの豊かさにおいて、二句目〈「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり〉が抜きん出ている。直前まで冬季の句がならび、次に掲出のピカソ忌(四月八日)の句がくる排列からして、この「涅槃」は季語の涅槃でありつつ、さらに音も光も無い深海の世界が寂滅為楽の境地の見立てともなっていよう。そしてこの潜水船に乗った人物たるや、死の危険と背中あわせにありながら知識の喜びに溢れているのだ。〈深海のクラゲのビデオ西瓜甘し〉のところでも述べたが、風狂の最たるものは学問なのである。とはいえ、五句目〈八方に海ひがしより我鬼忌来る〉を読むと、リンズィーにとって俳句という病もいよいよ膏肓に入りつつある感じがする。研究船の上で迎える夜明け。「我鬼忌」という記号が、真夏(我鬼忌は七月二十四日)の太陽に物質化して襲ってくるかのようだ。それは文学というものの容赦のなさでもあるだろう。

踏青の心を知らぬウツボかな
竹の秋タカアシガニの構へてゐる
松毬魚ひとつ埋まらぬジグソーパズル
三思して足出す山椒魚の散歩
河豚の仔を握れば脹らみゆく我れも
チャンスあれば飛びつく主義や潮まねき
月を出てマンボウ海を駆け巡る
蓮華草この大陸に雲散れり

二〇〇一年の作より。句集の「あとがきに代えて」には、

『魚の歳時記』、『百魚歳時記』、『海の俳句歳時記』などを見ても例句が扱っているのは食卓に上がった魚や他の海洋生物とセリの様子を詠んだ俳句ばかりである。(中略)逆手をとれば、生きた海洋生物を句材に用いられた俳句が非常に少ないので、句作の未開拓地であり、大きなチャンスとして考えるべきであろう。

とあって、これらの句にはまさに「生きた海洋生物」をなんとか俳句にしようとする苦心がうかがえる。ただ、一句目の「踏青の心を知らぬ」はレトリック先行で実感に乏しく、二句目は逆によくわかる分だけ「竹の秋」が見立てとしてあらわに過ぎるようである。三句目は、境目のくっきりした大ぶりの鱗でおおわれた体表がまるでマツカサのように見えるところから「松毬魚」の名がある魚の形態を、洒落た趣向で描き出すことに成功している。七句目、「マンボウ」が「月を出て」海に入ったという幻想は美しいが、「駆け巡る」はこの魚にふさわしいのだろうか。いちばんの秀作は五句目〈河豚の仔を握れば脹らみゆく我れも〉だろうか。日野草城の〈ものの種にぎればいのちひしめける〉を思わせるが、下五の途中までの「河豚の仔」の描写が、「我れも」と転じる鮮やかさに、いわば言外の“いのち”に急襲される思いがする。最後の句は母国帰省中の作。上五の「蓮華草」で視点を思い切り低く取ったことで、下五の「雲散れり」のさりげない措辞が強い効果をあげ、結果として「この大陸」オーストラリアへの思いが切々と伝わってくるようだ。

初声はエミューの走り出す前の
影・クラゲ・雲・この俺も去り行く浜
遺書一行胡桃割りたりまた一行
木守柿首を待ちゐるこけしたち

二〇〇二年の作より。一句目の「エミュー」はダチョウに似た大型の飛べない鳥で、オーストラリアの国鳥でもある。日本の動物園での展示も珍しくない。どんな鳴き声なのか知らないけれど、「走り出す前の」でみごとな新年の挨拶句になっている。「・・は・・の・・の」という句形にも放胆な魅力がある。二句目は、「去り行く浜」という言葉がつくる磁場が、「影」と「クラゲ」と「雲」と「この俺」という位相を違えた四者の間に、出会いと別れのドラマを生み出している。「影」と「クラゲ」が脚韻を、「クラゲ」と「雲」が頭韻を踏んでいるところなど芸が細かい。三句目、まだ三十代の作者が遺書を用意するのは、深海調査が命がけの仕事であるためだろう。硬い胡桃を割る動作と、一行一行考えながら遺書をしたためる行為とが重ねあわされている。この重ねあわせの手法は、こけしの町として知られる宮城県の鳴子温泉郷での作だという四句目でも、「木守柿」とこけしの「首」の類比の形であらわれている。人工物である「こけしたち」が、そのまま自然物と化してゆくかのようなふしぎな質感を湛えた句だ。

月面に豆撒きにゆく鬼の闇
孑孑や無神論者になれぬかも
海へ出て戻れば影に再会す
  海底から
見上げれば水母の影と吾子の水脈
肛門が口山頭火忌のイソギンチャク
舳先にも艫にも錨大晦日

二〇〇三年と二〇〇四年の作から、それぞれ三句ずつ。二句目の「無神論者になれぬかも」のニュアンスは、日本人には汲み尽し難いところがある。リンズィー同様、日本語で俳句もつくる詩人のアーサー・ビナードははっきりと無神論者であることを言明していたと記憶するが、リンズィーは熱心なキリスト教信者ではないものの無神論者にもなりきれないというのであろう。ちなみに『出航』の刊行日は十二月二十五日、つまりクリスマスになっていて、これはもちろん偶然ではあるまい。なにしろ、「あとがきに代えて」も十二月二十五日付けなのだ。後記と刊行日がおなじ日付になっている句集を見たのは初めてである。

五句目、「イソギンチャク」の「肛門が口」なのは、そういう生まれつきというだけのことだが、そこに「山頭火忌の」の語が冠せられたことで俄然風景が違ってくる。山頭火には少し気の毒のようでもあり、まんざら似合わないわけでもないようでもあり。四句目は、「水母の影」は実であるとして、「吾子の水脈」はどうなのだろうか。二〇〇〇年生まれの長女はすでに三歳になっているから海で遊ばせることも出来なくはないだろうが、「見上げれば」の距離感を考えると「水母」の“母”の字によって呼び出された虚の光景ではないかと思う。「海底から」仰いだ太陽のきらめきが、生命の原初の懐かしさで迫ってくるかのようだ。

  六月十六日に第三子 海・モーガン産まれる
吾子産まる産院の庭の蚯蚓太し
草引けば大地が揺れる父でゐる

二〇〇五年の作より。二〇〇〇年に生まれた長女ヘレナ・芽衣、句はあげなかったが二〇〇二年に生まれた次女マヤ・樹里杏につづいての三番目の子供である。「蚯蚓太し」で長男誕生を寿ぐ一句目のみごとな俳諧者流もさりながら、二句目の「父でゐる」の日本語の奇妙さに立ち止まらされた。「父であり」や「父である」ではいけないのだろうか。一方で、なるほど「父でゐる」の不安定さこそが「大地が揺れる」に相応うのかとも思う。

灯蛾払ひ銀の指紋を児の服に
薄明の男は島よ石榴食ふ
ギプス痒き午後蟷螂の生まれける
マンボウや車椅子もて回遊す

四句目は、「車椅子」に乗って芙蓉俳句会の仲間と江ノ島水族館に吟行した際の作。この年、二〇〇六年にリンズィーは脚を怪我したらしい。「ギプス痒き午後」ももちろんその時期のもので、「蟷螂の生まれける」の取り合わせはカマキリの卵の形状と「ギプス」の類比からきている。二句目は、楸邨没後にリンズィーが師事している金子兜太の影響をはっきりと見せているだろう。

ホイップクリームのやうな雲浮く仏の座
西日中よりジェット機の来る涅槃
宣教師とそば茶いただく銀河かな

二〇〇七年の作は、表現がいまひとつ煮え切らない印象。中では「ホイップクリームのような雲」の直喩が大胆で好ましい。二句目は悪くないが、すでに見た〈「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり〉のインパクトが大きいため損をしているようだ。

花柄を着て南極へ西行忌
啓蟄の飛魚散らしつつ南
怒濤退く甲板一面銀河かな
芽吹く頃ならむ一面の海へ雪
舵切つて渦中に氷の悲鳴かな

二〇〇八年の作。掲出はいずれも「南極海 十一句」の前書のある一連から。一句目や二句目などを見ると、俳句に対する馴れのようなものがこの作者にも兆しつつあるのを感じる。三句目も根拠となっている実景のダイナミズムはわかるが、「甲板一面」はやや不正確な表現ではあるまいか。四句目の極地の情景と、遠い日本の春の対比も実意なしとしないがやや図式的だろう。中では五句目の「氷の悲鳴かな」のこなれの悪さが、生理的な嫌悪感のようなものを喚起する点を評価したいと思う。

以上が『出航』の概観であるが、総じて句集前半の方が面白く、後半になるにつれて表現の緊張がゆるみ、季語の斡旋もかえって平板になってきている印象がある。リンズィーも、俳人として難しいところに差し掛かっているのかも知れない。その理由は単純ではあるまいが、二〇〇四年に行われた前出の座談会には特に季語をめぐっていくつかの興味深い発言があるので引用しておこう。

リンズィー 季語といっても季節をあらわさなくてもいいと思うんですよ。自然界の何かを指す言葉という意味でとらえたい。「歳時記」に、文化とか、人に関するような祭りとかいう季語がたくさんあるんですけれど、これらは自然界に存在するものではないんですね。俳句で追求すべきものとは余りにかけ離れているような感じがするんです。だから、俳句で真実を追求しようと思ったときに、祭りみたいな季語に真実はないですね。全部なくしてほしいぐらいです。

リンズィー そうですね。今の世の中は季節感がほとんどないようなところもあるわけですし。私が生まれた南半球のオーストラリアは、雨季と乾季しかないので、強いて季語になりそうなものといえば、「ワニさかる」とか「サンゴの産卵」とか。

リンズィー 今まで、季語をこう使えばいい俳句ができるみたいなところがあったわけじゃないですか。花散るとかですね。そうじゃなくて、もっと基本にあるところを追求していきたいんです。季節がごちゃごちゃになった今の世の中を詠んで、逆に季節感をなくして、自然界に存在しているものだけに向かってつくれたらなと思っているんです。

「ワニさかる」は面白いが、基本的にはこれらの発言も清水哲男のエッセイと同様に、内容的には目新しいものは無いと言っていいだろう。例えば、篠原鳳作が無季俳句へと進んでゆくにあたって示した認識を超えるものは、格別示されていないのではないか。文化的なコードでありつつ自然に依拠してもいる季語の体系は、自然の実体に則した地点から原理的な攻撃を受ければひとたまりもなく矛盾をさらけ出してしまう。ただ、実作者としての俳人は、原則的な発言はともかく、制作の現場においてはしごくプラグマティックに季語を運用することで矛盾を曖昧にやり過ごしてきた。目的が季語ではなく俳句である以上、それでよいのだし、評者の来し方もそこから一歩も出るわけではない。ただ、それを承知しつつもその矛盾を受け入れられなくなる臨界点のようなものがあって、それはこれまで篠原鳳作なら篠原鳳作、三橋敏雄なら三橋敏雄という個々の俳人の上に訪れたに過ぎなかったが、今後それがマッスとしての俳人を襲うこともあり得るのではないか、という予感を評者は持っている。「季語? なんで昔の人はあんなものに夢中だったのかしら」と多数の俳人・俳句愛好者が思うような感性の分岐点が、非常に遠いわけでもない将来にやって来る可能性はあるだろう。

ややリンズィーから話題が離れてしまったが、科学者であるリンズィー個人に季語の矛盾が耐え難いものになってきた経緯は容易に想像できるところだ。職業的に鍛え上げられた自然観を背景にし、しかも必ずしも無季を要求しているわけではない点で、リンズィーの問題意識には評者も大いに興味をそそられる。もちろん、それが容易ならざる挑戦であることはたしかで、例えば「クラゲ四種」と前書した下記の連作(二〇〇五年)などはみごとな失敗作と言うべきかもしれない。

彼方よりの誰か待ちゐる髪水母
貸してよとすぐに手が出るオワンクラゲ
リュックサックに寝袋詰めてウリクラゲ
春闘やカブトクラゲの波がまた

雑草という草は無いと昭和天皇は言ったそうであるが、海洋生物学者にとってはクラゲもまた一般俳人とは比較にならない多様性と具体性を持った存在であるに違いない。しかしそれを俳句にしようとした時に可能だったのは、この程度の比喩的・寓意的表現だったに過ぎず、しかも「オワンクラゲ」も「ウリクラゲ」も、一向具体的なイメージを結ぶことはないのである。これはもちろん、下記の発言にあるように、リンズィー自身が誰よりも痛感していることに違いない。

リンズィー 世界で一番長い生物は、クジラじゃなくてクラゲなんですよ。40メートルの長さにもなるアイオイクラゲというのが深海にいるんです。バイオマスというか、重量にしてみれば全然ちっちゃくて、太さは私の腕ぐらいしかないんですけど、40メートルの長さで、ヘビみたいな形なんです。流し網のように触手をたらして、死のカーテンを深海でつくって、夜、オキアミとかミジンコみたいなものが表層に上がってきて、植物プランクトンを食べようとするのを待ち構えていて、全部つかまえちゃうんです。そういう恐ろしい海の仲間を研究しているんですよ。ただ、俳句では詠めないんです。いくら深海の中ですごい魚に出会っても、イレズミコンニャクアジとか、ホソワニトカゲギスとかでは、イメージがわいてこないですよね(笑)。それが困っているところなんです。

まさにアイオイクラゲについての語りの豊かさが、先の四句の貧しさを際立たせている。おそらくリンズィーのジレンマを解決する方法は、散文と俳句の組み合わせしかないと思われるが、それを彼がいさぎよしとするかは別の話であるし、また実際にそうしようとした場合に彼の日本語表現力が充分かどうかというさらなる問題が生じるだろう。しかしいずれにせよ、俳句の表現を生動させてきたのは、俳句に表現出来るものだけを表現しようとする小智ではなく、俳句になし難いものを俳句にしようとする意欲だったと評者は信じる。リンズィー俳句の行方に注目したいと思う。

* ドゥーグル・J・リンズィー句集『出航』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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